「制作ノ-ト」カテゴリーアーカイブ

最終講義

オーディオマニアでいろいろと教えてくれる従兄は今年いよいよ大学退官で最終講義があるという。ぜひとも聴きに行かなくちゃと夫に言われ、私が聴いたって難しすぎてわからないだろうと思ったけれど、勝手知ったる夫と最寄駅で待ち合わせして連れて行ってもらった。

朱塗りの門をくぐり、慣れない場所にちょっとドキドキ。薄暗い廊下は美大とはまるで異なる本の匂いがした。広い階段教室の会場には、普段の学生さんたちとは顔ぶれの違う、白髪混じりの学者さんだろう人たちもたくさん来ていた。柱の陰の後ろの席へ。講義は2時間の予定だったが30分オーバー、時間制限がなければあとゆうに1時間半くらい話したのではないだろうか。ラテン語やギリシャ語入りのプリントを渡されてビビったけれど、時々笑いを誘うエピソード付き、自分のゼミにも拝借できるような内容もちょっとあって有意義な時間だった。これから研究の道を歩む人へのメッセージと自身の道のりを顧みて講義は終わった。

大学といってもやっぱり随分違うものだなぁ。それにしてもあんなにオーディオに凝っているにもかかわらずあれだけの内容を準備するのはどれだけの時間を要しただろう。新たなことを勉強もせずに日々慌ただしく過ごしているけれど自分の残された時間をどう生きるか、考え直さないといけないななどとちょっと感慨深くなった、と同時に私ってアタマ悪かったんだなと改めて実感した。

笑顔のご褒美

学年末、中3は高校で選択しなければ、最後の美術の授業。課題の提出を促してそろそろ終わりの時間。   
決して美術は得意でなく、はじめはあまり熱心でなかった生徒が寄ってきて、「先生の授業楽しかった!」とにっこり。なんだか嬉しくなってしまった。最近胃の痛くなるような事がもやもやと続いていたのが一気に吹き飛んだ。

苦手意識のある子に一生懸命やってごらんとは言うものの、思うようにできないと気分も萎える。それでも仕上がるまで格闘すると、ちゃんと形になるし達成感も得られるのだろう。生徒の満足げな顔を見るともう何もいらないって気分になる。先生やってよかったなと思える瞬間だ。上手に描くのが大事なのではないと幾ら言ってもなかなか分かってもらえないが、まずは作ることの楽しさを味わってほしい。「上手に描く」という大人たちにいつの間にか吹き込まれた余計な概念を拭い去ることで、持ち前の素直さ、豊かな感受性は甦る。

人前に立つとか、みんなを纏めるとか大の苦手で先生業は絶対無理だと学生時代は教員免許も取得せず、必要に迫られて取った免許は卒業してだいぶ経ってから。でも縁あってこういう仕事に携われたこと、今頃になって少しずつ有難さがわかってきた。

ピアノ

「世界3大ピアノ」といえば、スタンウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン。オーディオでそれらの音の聞き比べをしてみるが、本当の音はどうなのか。それらが試せる楽器店に仕事の帰りに寄ってみた。

実際ピアノを弾いてみるとその違いははっきり分かる。キラキラ響くスタンウェイ、ぬくもりを感じるベーゼンドルファー、色彩豊かな音が輝くベヒシュタイン。それぞれ興味深く面白い。ああいうところで弾かせてもらうのは勇気がいるが。

実家のピアノは小学生の時に買い替えてもらったお気に入り。先日、年に1度の調律をしてもらった。楽器店で弾いたベヒシュタインのピアノの音がとてもよかったと何の気なしに話したせいか、今までのズンと深い音色が、豊かな色を感じるような軽やかな響きになった。どんな調律したんだろう。同じピアノでもこんなに変わるとは驚いた。

新しい響きが楽しくて、最近実家に行ってはよく弾いている。もっと上手にいろんな曲が弾けたらな・・・。

なんだろう、指を動かすと、かたい頭がほぐれるのか、制作意欲もわいてくるのが不思議だ。

色/音

2016/ 3/29 22:03個展まであと1か月半。

春休み、この機会を逃してはならぬと版画制作にいそしんでいる。

版画の、構想を練る時によく音楽を聴く。

大学の助手になって初めてボーナスをもらった時、ちょっと高価なオーディオを買った。店に何週間か通いつめ、スピーカーやアンプをあれこれ繋いで音を試し、気に入った音の組み合わせを探し楽しんだ。このお気に入りのオーディオを実家においてきたこともあり、また新たに音探しをしたくなり、暫くおさまっていたオーディオ熱がまた復活してしまった。今はマンションだし、限られたスペースなのでコンパクトなものでないと置けないが、気になるものがあったので購入し、スピーカーケーブルを銅線や銀線に変えたりバイアンプで繋いだりして聞き比べ。

そこへ、従兄がベーゼンドルファーとスタンウェイの聞き比べCDを送ってくれたり、夫はベートーベンの交響曲全集のCDなど買って帰るものだから、さらに熱が入ってしまう。

私は音や数字に「色」を感じるのだけれど、そもそも、音も色も波動であって、周波数で音の高低や色が決まる。これが空気を伝って音を、光を通じて色を知覚する。そう考えるとすべては繋がっているので不思議なことでもない。白い壁や紙を眺めていると、旋律は線となり、和音は色の重なりとなって、リズムを持って動き出すのを感じる。・・・。色即是空、空即是色。

エスキース

 一日の仕事が終わって一人で夕飯を済ませ、帰りの遅い夫が戻るまでの間。

 オレンジ色の薄暗い灯りに調光した部屋で、イメージを広げられるお気に入りの音楽を

 聴きながら、薄っぺらいスケッチブックに鉛筆で線を重ねてみる。

 その描いた線の中に、色を自由に想像してみる。

 モノになるかならないかは別として、こうしてエスキースを練っているときはとても楽しい。

 

 

 

 

版画展

ただいま、ギャルリーヴェルジェにて、版画展を開催中。

6月に個展をしてから4ヶ月。 今回は水彩画は展示せず、久々にすべて版画とペーパーワークの展示。
新作は3点。右はモノタイプとエッチング、コラージュの小品。

14(月)15(火)は休廊、13:00~18:00(19日最終日は15:00まで)
在廊日;16日(水)14:00~16:00頃
ご高覧ください。
詳しくはinformationのページからヴェルジェのサイトへリンクしています。

音楽

版画などを作ろうと構想を練る時、いつも私は音楽をまず聴き、自分で奏でてみる。

音楽なら何でも、というわけではなく「とっておき」がある。

音の線を描く旋律、強弱を伴ったリズム、色が重なり合う和音。

それら無限の組み合わせによって生まれる響きが、頭の中で自由勝手に置き換わる。

奏でながら目をつぶり、あるいは聴きながら何もない白い壁を前にする。

だから私の部屋にはなるべく物を置かない。白い壁が大切なのだ。

2013.7.10

ただ今腐蝕中

版画の制作中、左の写真は仕事場の机の上。防食剤(グランド)を塗った銅板を引っ掻いて図の部分を作り、
腐蝕をさせて版に凹凸をつける。
右の水色の液体が硝酸 で、これに版を数時間浸し凹凸をつけるのだ。
腐食のあいだは手持ち無沙汰、出掛けられないし、他の事をしているとうっかり忘れてしまうし、
腐食の具合をちょこちょこと見張っていなければならない。でも今日は良いお天気、うまく腐蝕も進みそう。

版画はとにかくストイックな作業。色を使うにもちょっと不自由でいろいろと制限がある。
その点、水彩は油彩より手軽で、そしてたくさんの色を自由に使える。
水彩にはそんな開放感がある。

水彩は版画をつくるときのエスキースでガッシュを使っていたが、今のような透明水彩を描くようになったのは10年前に水彩教室の代行を頼まれたのがきっかけだ。
そんな水彩を描いていくうち、版ももっと自由でいいんじゃないかと思うようになった。版はとにかく工程がたくさんあって面倒だが、それでも版を使いたいのは物質感、金属の持つ抵抗感に魅力を感じるから。

間接的な作業だが、もっと版との距離を近く感じる作品ができたらいいな。

2013.3.22

記憶の景色

展覧会を無事終了し、次回へ向けての制作に取り掛かる準備を早速始めている。 

版画は大学時代の専攻で、以来20数年銅版画の制作も続けているが、
今回の展示、思ったよりも版画の作品に反応があり、なんだか嬉しかった。
もちろん水彩も当時から描いてはいたが、所謂対象を据えて描くというものではなく、左のようなドローイングだ。
左の作品、実は大学1年か2年のころに版画のエスキースとしてミクストメディアの授業で描いたものだ。
大学時代の私の作品は全て研究室で記録をとるというので預けてしまい、複数刷れる版画以外、私の手元にはほとんど残っていない。
しかし、このドローイングだけは手放せず、あとからこっそり返してもらった。

作品としては荒っぽいし、描き終えてしまった作品に執着するのはどうかとも思うが、これは私の原風景なのだ。

昨日、カルチャーにいらしている方が紫陽花を描いていて、「山紫陽花を見ると、幼かった頃木イチゴをとりに森の中へ入ると
日差しを受けた紫陽花が一面に広がっていてとっても素敵だったの、その光景をいつか、描いてみたくて」と仰っていた。

誰しも、忘れられない記憶の景色があるのではないだろうか。

私の記憶の景色は、湿り気のある土のにおいのする森、その森を抜けると広がる灰色の空と石油の臭い・・・。育った時期が高度経済成長期の真っ只中、川も空気も汚れていた時代だ。
自然の有機的で奥深いものと、人工的で無機質で冷たいもの。相反する二つは自分の中で融合し時を重ねて少しずつ形を変える。 

大学時代のエスキースをもとに、いくつかこれをテーマに素材も変えながら展開してきたが、今回DMに使用した作品もその一つだ。
このDMを見た友人が、「童話の挿絵のような、物語の始まりを感じてドキドキした」と言ってくれた。
友人はきっと、そんな物語に出会ってドキドキした経験があったのかもしれない。豊かな感受性の持ち主だと思った。

私の中の風景、しかし、見る人はこの中に別の景色を見つける。
それぞれの経験や、記憶がそこに映し出される。

私は「物語の始まり」と聞いて、好きなシューマンの音楽の「森の入口」という曲を連想した。

・・・あ、そうだ、次は、森の入口から、あの音楽のような絵を作ってみたいな。
 

なるせ美術座での個展、無事に終えることができました。ご高覧下さった皆様にお礼申し上げます。有難うございました。

2012.6.11

NOZAWA Naoko EXHIBITION

展覧会のお知らせ

今回は水彩画、版画、そのほか和紙に版画と水彩を使って糸や金属などの素材をコラージュしたものや、
未発表の水彩テンペラなど過去の作品も含め、約30点ほど。

下は「ジャカランダ」の葉をそのままスタンピングし、エッチングで刷ったものなどをコラージュ、水彩で手彩した。

2012.5.26~6.3、なるせ美術座にて⇒詳しくはこちら

版画芸術No155 展覧会プレビューに掲載