clematis

 

6月らしからぬ、今日はカラッとした過ごしやすい1日でした。
こんな陽気が続いたらいいのに。

クレマチスにもいろいろ種類がありますが、お花屋さんで見つけた2種類を描きました。

赤いのは、なんだか家の庭先に咲いているアブチロンにも似ているな、
くねくねと伸びた茎はリズミカルで絵になるな、などと思いながら。
描いているうちコロンコロンと花が落ちてきました。
 
今日の教室の帰り、マイメリのヴェルツィーノバイオレットが欲しくてわざわざ電車に乗って買いに行ったのだけれど、
あいにくチューブは扱っておらず、買うつもりのなかった余計な物を買って帰ってきてしまいました。やれやれ。
 

 

2012.6.26
 

記憶の景色

展覧会を無事終了し、次回へ向けての制作に取り掛かる準備を早速始めている。 

版画は大学時代の専攻で、以来20数年銅版画の制作も続けているが、
今回の展示、思ったよりも版画の作品に反応があり、なんだか嬉しかった。
もちろん水彩も当時から描いてはいたが、所謂対象を据えて描くというものではなく、左のようなドローイングだ。
左の作品、実は大学1年か2年のころに版画のエスキースとしてミクストメディアの授業で描いたものだ。
大学時代の私の作品は全て研究室で記録をとるというので預けてしまい、複数刷れる版画以外、私の手元にはほとんど残っていない。
しかし、このドローイングだけは手放せず、あとからこっそり返してもらった。

作品としては荒っぽいし、描き終えてしまった作品に執着するのはどうかとも思うが、これは私の原風景なのだ。

昨日、カルチャーにいらしている方が紫陽花を描いていて、「山紫陽花を見ると、幼かった頃木イチゴをとりに森の中へ入ると
日差しを受けた紫陽花が一面に広がっていてとっても素敵だったの、その光景をいつか、描いてみたくて」と仰っていた。

誰しも、忘れられない記憶の景色があるのではないだろうか。

私の記憶の景色は、湿り気のある土のにおいのする森、その森を抜けると広がる灰色の空と石油の臭い・・・。育った時期が高度経済成長期の真っ只中、川も空気も汚れていた時代だ。
自然の有機的で奥深いものと、人工的で無機質で冷たいもの。相反する二つは自分の中で融合し時を重ねて少しずつ形を変える。 

大学時代のエスキースをもとに、いくつかこれをテーマに素材も変えながら展開してきたが、今回DMに使用した作品もその一つだ。
このDMを見た友人が、「童話の挿絵のような、物語の始まりを感じてドキドキした」と言ってくれた。
友人はきっと、そんな物語に出会ってドキドキした経験があったのかもしれない。豊かな感受性の持ち主だと思った。

私の中の風景、しかし、見る人はこの中に別の景色を見つける。
それぞれの経験や、記憶がそこに映し出される。

私は「物語の始まり」と聞いて、好きなシューマンの音楽の「森の入口」という曲を連想した。

・・・あ、そうだ、次は、森の入口から、あの音楽のような絵を作ってみたいな。
 

なるせ美術座での個展、無事に終えることができました。ご高覧下さった皆様にお礼申し上げます。有難うございました。

2012.6.11