モノを描くときに大切なのはそれを取り囲んでいる空間を意識することだが、「ある」ものと「ない」もの、その互いの関係は切りはなすことはできないものだ。特に平面の中で、空間は「地」となり、モノは「図」となる。地と図の関係は普段の生活のいろいろな場面の中で、図(モノ)だけに意識が向かいがちになるが、はたして地と切り離された図にどれだけの価値があるのか・・・。
今回の展示はペーパーワークの作品。和紙の持つあたたかさや、独特の風合いにずっと魅せられ続けている。繊維の絡み方でいかようにも表情を変える紙。支持体の範囲をこえることもできる紙。紙はさまざまなイマジネーションを与えてくれる。
紙を切り抜き、或いは重ねていくことでうまれる、平面の中の僅かな空間の振動。モノはどこかへ溶けこんでしまったか、或いは幻影か。数の世界で例えるなら無理数や超越数のような、定規で測ることのできない長さ。 地と図の関係のはっきりとしない、どこか遠い時空。・・・そんな不完全さ。それらを自分の手で確かめながら追ってみた。
平面の中で ときの移ろいをテーマに、モノがひかりの中で色を伴って変容する様を提示しようと試みた「時系列」、或いはこの時空の中で 目に映っているモノは本当はどこか遠くから落ちてきた実体のない影だという視点からその源を探ろうとした「Vanishing Point (消失点)」など。こんなことをボワーッと考えながら制作した、ここ5年間のしごとを展示することにした。
2007年3月12日~4月14日まで
東京顕微鏡院「こころとからだの元気プラザ」にて
和紙のもつテイストはいいですね。先日修了展をした県美術館で購入した河井寛次郎の本のテイストが少し和紙っぽく、今それを読破しながら感性とともに感化されておりました。ものつくりの心のさざなみに触れるというか…。けれど、それだけに紙のもつ「完成」度に人が手を加える事への謙虚さも必要なのではないでしょうか。
日々のいろいろなことに忙殺され、創造への思いが失われつつある現在、ふとものつくりの謙虚な気持ちモードになったので書いてみました。
今の私のこの不確かな時間を、ものつくりモードとして見つめてみようか、と。
焼き物の場合は土だったり、紙の場合は木の皮だったり、有機的だね~。
そこから手を加えて何かしらカタチにしていくのだけれど、その素材との対話なくしては一方通行になってしまうものね。
表現といっても、「自分のカタチ」を探していたのではなかなか見つからないもの。
ひょい、と素材の方がいろんなことを教えてくれたりする。素材は大事。
忙しかった学年末の成績つけがやっと一段落です。忙しいは心を亡くすと書くけれど、目いっぱい心をこめて成績つけてやったぞ! 明日搬入です♪
[目いっぱい心をこめて成績つけてやった]件、生徒に替わってTHANKSです。
生徒からは未だにメールをよくもらいます。ほだされます。彼女たちにとっても「いい先生」たるべく(変な人かな)人生ガムバリます~~。ちょっと考えたことあるんだ。でもちょっとまた突拍子もないから今は未だ言・わ・な・い。
とりあえず東京に戻ります。
ねえさ~ん、突拍子もないこと、また、考えちゃったんですか??