秋いろ

keito.jpg この数週間の間にいろいろありました。ひとつは鹿児島の伯父が亡くなり家の留守を預かったこと。その後、救急車に乗ったこと。突然夜中に 脂汗だらだら、立ち上がれないほどの胃痛・・・。どうやら原因はストレスのようですが、ストレスとは無縁と思っていたから、何がストレスになったのか心当たりもありません。いや、しかし参った、痛かった。そして先日、はじめて胃カメラを飲みました。鼻の穴が小さすぎて入らず結局、口から。ちょっと緊張。モニターに映し出された、はじめて見た私の食道から胃は 外見に見えるどこよりも美しく見事な物でした。滑らかな温かみのある色、モニターではなく実際の色はもっと綺麗なのでしょうか。

それにしても、生き物ってスゴイな。自分で考えなくたって、食べ物を消化してくれるし、疲れたからって休むことなく心臓は動いているし。。。

2008.9.22

残暑

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ゲリラ的な豪雨やら、何だか不安定な天気が続きましたが、夏休みも終わり今日は新学期の初授業に行ってきました。1ヶ月ちょっとの間にひとまわりくらい大きくなった中学生たち、その分こっちはちょっと小さくなったかも知れません。久々の授業は、舌がもつれて上手く話せず、早くもとにもどさねば・・。

私の夏休み、今年は女子美セミナーをとびとびにセッティングした為、何だか慌しくどこへも行けずに終わってしまいました。あえて言えばジュリアンオピーを観に水戸へ行ったくらい。面白い展覧会でした。

さて、もう一つ増える予定の水彩画講座は相模大野にあるカルチャーセンターです。第3月曜の月に1回の講座です。詳しくはinformationをご覧下さい。

2008.9.3

水彩画材コレクション?

26.jpg水彩画を描くようになって、モチーフもいろいろ集まってしまったが、絵の具や紙もかなり増えてしまった。色は混ぜたり重ねたりすると無限に作ることが出来るが、この色を出したい!と思っても混色や重色では出来ない色というのもある。 それに、メーカーによって発色や滲み方も異なるし、癖もある。新しく手にした絵の具を使うときのドキドキ、その絵の具の色に触発されて描くことも多い。

紙も同様。 水をたくさん使う透明水彩では紙がどのくらい水を吸い込むかでだいぶ違ってくる。不思議な広がり方をしてくれる紙、思った以上の発色をしてくれる紙、吸い込んだら最後絵の具を逃がさない紙。こちら側の水加減で、紙がいろいろな答えをしてくれる。紙によっては、予想もしなかった答えを出してくることもあるし、その会話がまた楽しい。25.jpg

版画もそうだが、自分の意志だけではどうにもならない部分、偶然や時間の流れによって あちら側が作り出してくれるものにとても興味がある。「創る」に対して「成る」というコトバがあるけれど、自分の非力をカバーしてくれてしかもいろんなアドヴァイスをしてくれる「成る」という要素が私は大好きだ。

2008.8.22

静物

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朝夕は盛夏の暑さも少し和らぎ、セミの鳴く声も種類が変わってきました。うだるような暑さの最中はう゛ぁ~って感じですが、冷房も切って汗だらだら、夏を楽しむのも面白いです。日が沈んで汗流して、一口目のビールはまた格別。ちょっとでも凌ぎ易くなると、あの暑さが恋しくもあり。暑い時季に暑い国へ、寒い季節には寒い場所へ、どちらかというと極端なのが好みです。

女子美夏の恒例アートセミナー、今回は2つに分けましたが、水彩画入門編は無事終了、初心者とは思えない、皆さん素晴らしい出来でした。次は来週からもうちょっとじっくりのコースが始まります。それから、10月からはあらたに別の場所で水彩講座が増える予定ですがまた近くお知らせしたいと思います。ちなみに、この絵は講座の合間に描きました。

2008.8.13

夏の思い出

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子供の頃に拾った貝殻 です。直径20センチ、高さ15センチくらいのプラスチック容器2つに、よく連れて行ってもらった鹿児島の海岸で拾い集めた貝殻がぎっしりと。子供の頃の夏の思い出も一緒に閉じ込められています。何十年も前に拾った貝殻も、霧吹きで水をかけると貝殻の色も少し鮮やかになりました。自然の色ってなんて繊細で綺麗なんでしょう!絵もそんなふうに描けたらな・・。

学校は夏休み。休み中に 秋にやる展示の、水彩画を描こうと思っていましたが、個展のあとは研修やセミナーで外出が続き、家にいる日が殆んどありません。暫く描かないでいると描き方忘れそうなので、小さいスケッチブックに描きました。

2008.8.6

小品展

23.jpg 2週間のペーパーワーク&エッチングの個展をおかげさまで無事終了。続いて今度は銀座京橋の10画廊(東京現代美術画廊)が共同開催する「新世代への視点」の関連企画の小品展。スペースは先日の個展と同じだが、そこに100点を越える小品がずらりと並んだ。個展の搬出の次がこの展示だったので、この小品展の飾り付けにちょっとだけ立ち会ったが、各画廊の方々が作品を持ち込み展示を始め、それはそれは人口密度が高かった。

私はこの2点。今度はエディションありで、色、使っちゃった。

小品展→8月9日まで、ギャラリーなつかbpにて

2008.7.28

展示

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今回の個展のテーマは2003年のときと同じ「時系列」。時のうつろい、生き物の 自然の成りゆくさま。月の満ち欠け、潮の満ち干、植物の四季。遠くはなれて眺めてみれば、そこにはいろいろな色が絡み合い、不思議なリズムを持って流れている。

予てより、私はあまり物をきちんと見ていないように思う。ぼーっとしているのかもしれないし、視力があまり良くないせいもあるかもしれない。見ていたとしてもそれは存在そのものというよりは周りに反射する光とか、漂っている色だとかで、見ることよりも、寧ろ匂いとか触覚とか聴覚で感じたものの方に興味が湧く。記憶もそうだ。重なった記憶の 層の深いところから取り出してみると、時を経て芯のようになって残ったものは、抽象的ではあるけれど余分な物が削ぎ落とされ、その存在の影は薄い。そんな薄くて儚くて、よもやこの目を通しては見ることの出来ないもの、以前に実際に歩き 感じたこと、経験したもの。私のなかで絡み合い、そうして刻み込まれた景色を、雁皮や楮やパルプの繊維を絡ませて漉いた、四隅の綻んだ、薄く温かみのある和紙の平面の中に閉じ込めてみたいと思った。版という媒体を使ってその触感や成りゆき任せな偶然性を楽しみながら。

個展→2008.7.14~26 ギャラリーなつかbp

2008.7.13

 

ダリア

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 もうすぐ個展です。作品は早々に出来てあとは搬入して展示をするだけ のはずなのですが、これでいいんだろうか?と、そのあとも他の作品を作ってみたり。個展のあとの、小品展(グループ展)の作品もやっぱり今から作り直すことに。結局なかなか終わりません。これでよし!なんてことはずっと無いのだろうな。・・・だから未だに絵を描きつづけているのでしょうけれど。 

終わらないのは 学校の成績付けも。あ゛~!

燃えるような真赤なダリア、この花を描いたのは初めてです。情熱的な花、私には縁遠い花のような気が・・・

2008.7.9

red lily

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前回 モチーフの写真を載せましたが、それらも並べています。この花束、この前の水彩画の教室で用意していただいた物ですが、ちょっと変わった色調の花束で、赤やオレンジ色の百合や紫の濃い紫陽花、真っ白なトルコ桔梗・・・でした。教室の後いただいて帰って早速描いてみました。自分で選ぶとこういう色にはならないだろうな・・・などと考えながら、何だか新鮮な気分。服でも何でも、自分の定番からなかなか ぬけられないものだけれど、こうして他の人が選んだ物を描いてみるのもなかなか面白いものです。

ホームページの水彩画(watercolor)のページをリニューアルしてみました。このnotebookに載っているものもいくつかありますが、殆んどはまだ載せていない風景や少し大きめの静物の水彩画です。またそちらもぼちぼち更新していこうと思っています。

2008.6.25

モチーフたち、テーマ

21.jpg 所狭しと仕事場に並べられたモチーフたち。これまで私が作ってきた版のしごとでは、風景や記憶をモチーフとしていたので 絵を作るときに具体的なモノはたいして必要なかった。だが、こういう水彩画を描くようになって 随分モノが増えてきた。

水彩画だからといって、モノが無くては描けない訳ではないのだが、色や形を追いかけていく時に自分の中からでてくるものだけでは物足りなくて、何か取っ掛かりになるものが欲しかったのだ。

集まってしまったもの達を見ていると 不思議な形をした木の実や貝殻、光をキラリと反射する透明なガラスや、金属をぐるりと曲げて作った置物。有機的な植物の繊細な色や形と、無機的なものの冷たい質感。「無機的なものと有機的なもの」これらを対比させて版の作品にもよく取り入れるのだが、特に意識せずに そういうものを気に入って集めてしまっていた。221.jpg

・・・対比。画面の奥行きというものを煩わしく感じ、もっと平坦で、イメージ性よりも物質的なものを強調したかったから、異質な物を対比をさせて並列にして展示するというスタイルを何度かとって来た。しかし、これでは結局、画面を弱くしてしまうのではないだろうか?画面の奥行きを煩わしく思うことが、作品自体の力や深さも削いでしまっているのかもしれない。

16.jpg人間の意識はフォーカスを絞ることで対象の意味付けをしていくものであり、中心視野の狭い範囲内でしか最高の視力と意識の重み付けが出来ないものだから、2つのモノを並列させてしまうと、見るほうは 自分の頭で全体像を再構成しなくてはならず、今見ているもの に対する意識を拡散させてしまうものらしい。

「白とか黒とかいう音があるのではなくて、一つの響のなかにたくさんの色がある。たくさん、ではなくて、全部かもしれない。その、全部の色を持った一つの響が、時間のうつろい、音の繋がり方、そして聞き手の心によって、いろいろな色に聞こえる、、、、、」こんな有難い話をしてくれた音楽家でもある友人の言葉を、自分なりに噛み砕き、まだまだ全然、消化はしきれていないけれど7月の展示に向けて作品を作っている。

全は一なり、一は全なり、 か・・・

2008.6.9

 

 

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