無器用

表現することに私はなんて無器用なんだろうと、つくづく思う。そのときしなければならないこと、そこで筆を持つ手を止めなければいけないとき、いつも躊躇してしまったり、余計なことをしてしまう。肝心なところに行き着かない。何故か出来ずにぶち壊してしまう。制作に限ったことでなく、全てにおいて。…ああ、自己嫌悪。その一瞬を潔くあらわせるようになりたい。すっとして濁りの無い、ポキッと折れないしなやかさをもった1本の線になりたいなあ。

2006/5/13

ヒメウツギ

himeutugi.jpg

寒がりの私は未だコタツから出られません。でも、今日は久々の良い天気。陽気に誘われ散歩に出ると、外はいつの間にかだいぶ緑が濃くなっていました。今週末はもう立夏だものなぁ。はやいなぁ。これはヒメウツギ。庭に咲いたたくさんの小さな白い花が清々しく目に留まりました。

暖かくなると制作意欲も湧いてきます。ちょっと大きめの版を使った作品を作りたくて、今日はまず版の準備。そういえば最近、中国でのオリンピックの影響もあって需要が増えて、銅板がかつてないほど値上がりしてしまいました。高い銅板使って失敗作にならないようにしなくちゃ。

2006/5/1

クロジョカ

kurojoka.jpg私は普段、自然光でスケッチするのですが、今回は夜、電球のあかりで描きました。

先日は久々に飲み。皆はオ-ルナイトでしたが,私は翌日朝から仕事があったため終電にて帰宅。しかし、二日酔いをしないようにと友人からもらって飲んだドリンク剤が効いたのか、結局眠ることが出来ずこんなものを描きました。焼酎の壺とクロジョカです。何処かにあるはずだとずっと探していたクロジョカが先日ひょっこり物置から出てきました。ずしりと重みがあって、いい色をしています。全体を茶色っぽい絵にしたくて、絵具のコレクションの中から茶色の豊富なレンブラントの絵具をチョイス。国によって得意な色というのがあるのだなぁ。風土、自然の色、そこから生まれる文化の色。

因みに、このような素焼きの壺などに入れて暗いところで寝かせておけば、そこそこの焼酎も美味しくなるそうです。

2006/4/23

 

 

雨の修善寺

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修善寺です。高校時代から共に絵を続けてきた友人が住んでいて、「スケッチしにおいでよ」と声をかけてくれました。出かけた日は良い天気でしたが、仕事を終えたその足で行ったので着いたのは夜。翌日はあいにくの雨でしたが、鈍行乗り継いで折角ここまで来たのだし、何が何でも描くぞ!というわけで、景色の良いところまで友人が車を走らせてくれました。屋根がないと絵具も雨に溶けてしまうから、SUV車のトランクに座って小さくなりながら友人も一緒にスケッチ。風が吹くと雨も入り込んできて絵に程よく水がかかり、丁度霧の感じに。霧ですぐに変わってしまう山の稜線、樹々の微妙な色合いを追いかけるのが何とも新鮮でした。帰りがけにはここでワサビも買って満足。ちょっと寒かったけれど楽しいひと時でした。

2006/4/6

daffodil

2.jpg 毎年この時季、庭の片隅にラッパ水仙がたくさん花を咲かせます。他の季節もずっと球根が眠っているので、他のものを植えるわけにもいかず、普段はこの場所は殺風景なのですが、芽を出し、葉が伸び、蕾を持ち始めると、心待ちにカウントダウン。 けれども春先は風が強いので、せっかく花を咲かせても庭に咲いたままよりは、切って花瓶にさしたほうが長持ちするようです。

学年末の忙しい仕事、大学は卒業式も終え、ホ-ムペ-ジのリニュ-アルをしようと、このところずっとパソコンをいじっていたのでスケッチするのは久しぶり。今回はcssを使ってやってみました。ソ-スで作業していくのは初めてだったので慣れるまでは大変でしたが、やっているうちにのめり込んでしまいました。 他のブラウザでも字崩れなどせずちゃんと見られるかな。

2006/3/17

 

 

音楽

4歳の頃、母に「ピアノとバイオリンのどっちがいい?」と問われ、大きな楽器のほうが好いと思いピアノと答えたのを記憶している。以来,大学に入るまで続け、それなりに身をいれてやっていた。小さい頃は、思うように指が動かないと自分の手に噛み付いて、毎日の練習が終わると手の甲に歯形がいっぱいついていた。
音楽は時間芸術。 私が音楽では苦しいなと思ったのは、時間の流れについていけなかったから。練習ならうまくいくまで繰り返しできるが演奏となるとそうはいかない。音楽の情景をイメ-ジして体で覚える訳だけど、時々、時間の流れからはみ出してしまって追いつかないという感覚、音楽にのせられない、という自分の限界を感じた。とりあえす、絵画にはそれがない。自分のペ-スで時をじっくり積み重ねていける。
今回ホ-ムペ-ジに、ドロ-イングなども載せてみた。昔の題材は殆ど音楽から。子供の頃から聴いていた音楽は専らクラシックだったが、その中でも一番シュ-マンの曲はイメ-ジが浮かんだ(一番ぼろぼろになっている楽譜もシュ-マン)。いまだに「音」は大切な要素の1つで、今はジャンルを問わず(ただし演歌以外)たくさんの好きな音楽に囲まれている。

2006/3/9

素材

異国の地を見て歩き、そこの空気に触れたとき、たくさんの情報によって既に知ったつもりになっていたものは実は仮想のものに過ぎなかったと思い知らされるものだ。その場所と対峙していると、その土地のにおい、肌に感じる光の強さ、時代を超えて脈々と流れてきた未知の空間を感じとることが出来る。
視覚的に受けたものだけが優先されることなく、触覚的なものや、におい、そして、聞こえてくるもの、実際に肌で感じとったものを総じて色と形で組み立てられないだろうか、・・・そしてそこには当然、どんな素材を使うかということがモンダイになってくる。粒子と粒子と繊維と繊維、その微妙な絡み合い、混ざり合いが蓄積されて形を成していく。かさかさ、つるつる、ざらざら、ふわふわ、手で触らなくても、目で触っている。この感覚が私にとってはとても重要。素材が大切!

2006/2/5

紙漉き

昨日まで3日間紙漉き。冬場は水が冷たいのでいい紙が漉ける。その代わり手は真赤にふくれてしまう。冷たい水。本当は水道水じゃない方がいいらしい。私が紙を自分で漉いて作品を作ってみたいと思ったのは15年前くらい。紙がパシッと四角なのに違和感を感じて、紙を焼いたりして自然に出来上がったカタチを作品にしてみたくなったのが始まり。紙の耳はボソッと繊維が綻んだりしていて、魅力的。はじめの頃は大量の牛乳パックを使った。これが結構上質なパルプなのだ。コ-ティングをはがし、細かくちぎって水に浸し、家庭用のミキサ-にかけて繊維状に戻す。ミキサ-のモ-タ-を焼き切って幾つダメにしたことか。

 4.jpg攪拌  6.jpgトロロアオイと混ぜる  8.jpg漉く

今は、こんな機械を学校が購入したのでかなり楽ちん。3kgくらいあっという間に砕いてしまう。ちなみに、この中にあるのは楮。繊維を砕いたら、つなぎのトロロアオイを入れて攪拌。以前、トロロアオイを調達できなくて、代わりにオクラを植えて使ったことがあったけれど漉き上がった紙は青臭かった。ここまで出来たら、漉き枠を使って漉くだけ。三椏、雁皮、楮、パルプ・・・。繊維によって色味も異なり、混ぜたりすることで自然ないろんな調子ができる。また、いろいろな素材を中に漉きこんだり、工夫次第。
今回、紙好き3人で紙漉きをしたけれど、お互いにやりだしたら止まらないといったかんじで、殆ど言葉を交わすこともなく、半分トランス状態で黙々と10kgほど漉いた。売っていないような面白い紙を作りたくて、それぞれが自分の世界に入り込んでしまう。終わってみると背中の、無い筋肉が筋肉痛。充実の3日間、締め括りの宴をして解散。 ・・・さて、それ自体にかなり存在感のあるこれらの紙を、どう料理して作品にしようか。

2005/12/31

好きな絵

3.jpg好きな作家は俵屋宗達。小学校のとき教科書だったか何かで、風神雷神図屏風を見て妙な形体になんだかゾワゾワしたのを覚えている。その後、当時日本には存在しなかった象を想像で描いた絵があると聞き、それが宗達が描いたのだと知ったときどんなものか見たくて仕方がなかった。
美大では3年生くらいに古美術研究で京都に行くのだけれど私はそのとき行かず、友達の話を聞いて後悔した。養源院にはあの象や獅子や麒麟などの襖絵、建仁寺の風神雷神、あとから単独で宗達の絵を置いてある寺をいろいろ調べて観に行った。風神雷神は行けば常に見られる訳ではないらしいのだが、運良く観ることが出来た。他にもいろいろ観てまわり、おおらかで楽しげで不思議な空気の広がりを堪能した。
骨の髄から好きだ!!と思う気持ちは外国作家の作品に対してはあまり感じない。(とは言ってもマティスの金魚シリ-ズすべて本物を見るという目標や、ヒカリモノのクリムト作品に惹かれるのも確かだけど。)平面の中の空間のとらえ方だろうか。
ちょっと前に読んだ本に、砂漠地帯は1点にいて生活できないから鳥の目線、俯瞰で上から下への視点でものを見、それが西欧へ伝わって天地創造の概念を持ったが、日本のような見通しの利かない森林の民は、ものは下から上へと見るしかなかった、と言うようなことが書いてあった。良くも悪くも殿様に命じられ、隅々まできっちりと職人的にコツコツと積み重ねていくのが得意な日本人にはそういう背景があるのだろうか。しかし、宗達は殿様にも仕えず異端で、想像を自由に羽ばたかせて象など描いて、きっと大らかで、この象のように恰幅 の良いおじさんだったのだろうな。 

2005/12/8

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